ブラジルでは5月18日の感染者が約14,000人となり、トータルでは20万人オーバーとなった。
ちょうど2週間前が10万人弱で先週が15万人弱。
先週に比べて増加率は下がったとはいえ、1週間で5万人前後と感染者数の増加は変わっていない。
CONMEBOLは9月からコパ・リベルタドーレス、コパ・スダメリカーナの再開を目指しているが、ブラジルの新型コロナ対策が他の南米諸国と異なっているため、感染者数が下火にならなければ、ブラジルのクラブ抜きでの再開ということにもなりかねない。
ちなみにCONMEBOLは、再開の場合のルールとして、ボールへのキスの禁止、ユニホームの交換禁止、試合前のペナント交換禁止、ピッチへのツバ吐きや手鼻の禁止などを決めている。
 
 
アルゼンチンも感染者は増える一方。
1週間前に初の1日200人超えとなる240人を記録したが、その後も最多記録を更新し続け、18日は345人の新記録。
このうち214人がブエノスアイレス市で、86人がその他のブエノスアイレス州。
都心やその周辺のビジャと呼ばれるスラム街がクラスターとなり、その内部で爆発的に広まっている。
こうしたビジャは、放置されていた広大な国有地や市有地に勝手に人々が住み着いたもの。
家は手造りなので狭く、住民の増加で家は隣接していて通路も細い。
その狭い家で子供が生まれ、ビジャの人口が増加する。
家の中はもちろんビジャ全体が密の状態なので、一人が感染すると次々と広まってしまう。
 
 
しかし、クラスターが特定できているのは強みだ。
現在、国による外出禁止令は大ブエノスアイレス圏のみで、その他は解除されている。
この外出禁止令は24日までで、それ以降は感染者の多いビジャだけに適用し、その他の地域は解除すればいい。
ただビジャには犯罪者も多く規則など気にしない者も多いので、警察や軍で周囲を囲んで封鎖しなければ効果は薄れる。
この案をブエノスの知人に伝えたら、「すごくいいアイデアだけど、大衆派のフェルナンデス大統領は腰が引けるのではないか」といっていた。
庶民や貧困層からの支持で当選しただけに、弱者への人権侵害と取られるようなことは嫌がるのではないか、というのだ。
ならば、封鎖と並行して金銭的援助や食料、日用品を支給することでビジャの不満や社会の批判も押さえられるのではないか。
なにより、ビジャだけを封鎖してその他の地域は解除にするか、すべての地域の外出禁止を続けるかとの選択なら、圧倒的多数の住民が前者を選ぶ。
大統領は世間の批判を恐れる必要ないのだ。
 
 
すべてのスポーツが止まっているため、スポーツメディアはネタがなくて困っている。
しかし、紙面は作らなければならない。
そこで先日は、「ペッパースプレーから5年」とか「ペッパー事件5周年」などという報道がすべてのメディアでなされた。
これは、5年前のコパ・リベルタドーレスでボカとリーベルが対戦した際に起きた出来事のこと。
後半に向けてリーベルの選手がピッチへ入る際、ボカのサポーターがペッパースプレーを噴射した。
スプレーの中身は唐辛子エキスで、顔にかかれば目が開けられず、その他の部分の肌に浴びても汗をかいて開いた毛穴に染み込み火傷のように熱くなる。
このため試合続行不可能となり、リーベルの不戦勝、ボカには多大なペナルティーが科せられた。
この事件を5周年ということで掘り返し、犯人の現状などもリポートしていた。
 
 
前回、アルゼンチンの伝説的選手”トゥリンチェ“カルロビッチの悲報を書いたが、彼のプレー動画はなかった。
映画のワンカットとして数秒映っているものはあったものの、ちゃんとした試合中のプレー映像はなかった。
活躍の場が2部リーグ以下であったことから撮影自体が少なく、撮影されていたビデオも、重要と思われなかったためデジタル化の際に廃棄されてしまったようだ。
アルゼンチン代表とのテストマッチが残っていないのは不思議だが、とにかく彼の満足なプレー映像は残っていなかった。
しかしそれが発見された、という報道もあった。
もっともこれは、40歳でプロを引退した2年後の、地方のアマチュアリーグでのプレー。
長身で左利きの7番がカルロビッチで、ロングシュートも決めている。
日本でいえば地域リーグか都道府県リーグレベルのはずだが、サポーターの熱狂には驚かされる。

 
 
また14日には、「今日、5月14日はアルゼンチンサッカー選手の日です」という報道もあった。
サッカー選手の日などというものがあるとは知らなかった。
記事によると、1953年の5月14日、アルゼンチン代表がリーベルのスタジアムでイングランド代表(またはイギリス選抜)を3-1で破ったからだそうだ。
サッカーの母国に勝ったということで、記念すべき勝利だったようだ。
アルゼンチンは30年の第1回W杯で準優勝するなど、すでに強豪国ではあったが、直接対決で母国に勝ったのは初めてだったのかも知れない。
ところがこの「サッカー選手の日」というのは、2018年の11月に国会で制定されたばかりなのだそうだ。
記念日としては歴史もなく、世間に知られてもいない。
どうでもいいようなニュースだが、おかげで知識は広がった。
 
 
ちなみにアルゼンチンの国技とは何か。
「国技はサッカー」と思われがちだが、奇しくもアルゼンチンがサッカーで母国に勝ったのと同じ53年、時のペロン大統領政権によって国技に指定されたのは、パトという競技。
詳しい説明は、また別の機会に。


About The Author

ホルヘ三村

ラテンのフットボールを愛し、現在はgol.アルゼンチン支局長として首都ブエノスアイレスに拠点を置き、コパリベルタドーレス、コパアメリカ、ワールドカップ予選や各国のローカルリーグを取材し世界のメディアに情報を発信する国際派フォトジャーナリスト。 取材先の南米各国では、現地のセニョリータとの密接な交流を企でては失敗を重ねているが、酒を中心としたナイトライフには造詣が深い。 ヘディングはダメ。左足で蹴れないという二重苦プレーヤーながら、美味い酒を呑むためにボールを追い回している。 女性とアルコールとフットボールの日々を送る、尊敬すべき人生の達観者。

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