8月20日の日曜日に、オベリスコがあるプラサ・レプブリカで、アサード選手権なるものが行われた。
アサードとはアルゼンチンを代表する焼き肉料理。
全国23の州から腕自慢の料理人が代表として参戦し、アサードNO1を競い合った。
 
 
この大会は今回で2回目。
バーベキューの世界では国際大会があり、バーベキュー世界一を目指し各国から集まるという。
数年前にアルゼンチン人がその大会に参加したが惨敗し、「アルゼンチンの恥だ」とニュースにもなった。
アルゼンチン人にとって、焼き肉勝負で敗れるのは許されないことなのだ。
しかしアメリカン・バーベキューとアサードは、同じ焼き肉料理に属しながら明らかに異なる。
カラフルな野菜と一緒に串刺しにして、甘辛いバーベキューソースや照り焼きソースで味わうアメリカンスタイルに対し、アサードはあくまでも肉にこだわり、味付けはシンプルに塩と胡椒。
この両者が同じ土俵で競い合っても、それはすなわち異種格闘技。
どうやらそこに気付いたようで、アサードはアサード同士で勝負しようということになった。
現在は国内大会ながら、やがては世界大会に発展するかもしれない。
もっとも、参加するのはウルグアイとパラグアイくらいか。
 
 
アルゼンチンの広さは日本の約7倍。
単純な焼き肉料理でも、地方色はあるようだ。
ホルヘが以前ウルグアイで食べたものは、炭を一切使わず、桜みたいな樹の太い枝を完全に焼いてオキにしてから肉を焙っていた。
今回優勝したのはサンタフェ代表。
ブエノスアイレスでは炭だけで焼くのが一般的だが、サンタフェ流は炭と薪、さらに牛脂を使うのだそうだ。
 
 
この日はこどもの日でもあり、オベリスコ周辺はアサードの選手権だけでなく、アサードフェスティバルの会場となった。
コリエンテス大通りからアベニーダ・デ・マージョの5ブロックに渡り、ヌエベ・デ・フリオ大通りがバスレーンも含めて通行止め。
そこにアサードやチョリソの露店が並び、もうもうと煙を立てて人々の食欲を誘う。
子供たち向けの遊具も人気で、長い列が出来ていた。
 
 
この日はバルセロナのテロからわずかしか経っていない。
バルセロナではアルゼンチン人が1名犠牲になっている。
しかしかなりの人出だというのに、ほとんどノー警備。
実はアルゼンチンでも1994年にAMIAというイスラエル協会のビルが爆弾テロで襲われ、85名が死亡し300名以上の負傷者を出している。
このような過去はあるのだが、ISとは特に敵対していないので警戒する必要はないらしい。
せっかくのこどもの日のアサードフェスティバルも、厳重警備の中で行われたら興ざめしてしまう。
 


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ラテンのフットボールを愛し、現在はgol.アルゼンチン支局長として首都ブエノスアイレスに拠点を置き、コパリベルタドーレス、コパアメリカ、ワールドカップ予選や各国のローカルリーグを取材し世界のメディアに情報を発信する国際派フォトジャーナリスト。 取材先の南米各国では、現地のセニョリータとの密接な交流を企でては失敗を重ねているが、酒を中心としたナイトライフには造詣が深い。 ヘディングはダメ。左足で蹴れないという二重苦プレーヤーながら、美味い酒を呑むためにボールを追い回している。 女性とアルコールとフットボールの日々を送る、尊敬すべき人生の達観者。

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