パラグアイスキャンダル

パラグアイの通貨はグアラニー。 現在は格落ちしたが、かつては最高級だった老舗ホテルもグアラニー。 1903年に創立された古豪サッカークラブの名もグアラニーだ。 グアラニーというのは、現在のパラグアイ全土とブラジル、アルゼンチンの一部に以前から暮らしていた先住民族のこと。 パラグアイではグアラニー語を話す人も多く、普通のスペイン語の中にグアラニー語が混ざったりする。 元代表GKのチラベルトにインタビューしたと...

アンデス文明

日本人が「南米」と聞いて連想するのは、リオのカーニバル、アマゾン、サンバ、タンゴ、イグアスの滝、そしてインカ帝国とアンデス山脈といったところが一般的だろう。 上野の国立科学博物館で「古代アンデス文明展」というものが18日まで開催されている。     南米の古代文明というと、インカという言葉が思い浮かぶ。 たしかにインカは現在のコロンビアからチリまでにまたがる巨大な帝国だったが、名を遺したのは、それが最後の古...

協会vs警察

アルゼンチンの刑務所では、受刑者が高齢になると刑が免除されたり、自宅に軟禁されて残りの刑期を務める。 金持ちの犯罪者は、豪邸で家族と使用人に囲まれ、友人たちを招いたパーティーなどを行い優雅に暮らす。 コロンビアなどでは、週末は自宅に帰れるケースがある。     そもそも死刑はないし、南米の刑罰は日本より甘いといえるだろう。 罰が軽いことが治安の悪さの一因にもなっている。     しかし、中には日本よ...

南米気候あれこれ

10日ほど前だっただろうか、TBSラジオの気象予報士が、「西暦の末尾に8がつく年は、東京に大雪が降る」といい、2008年から1968年までさかのぼってその年の降雪状況を説明していた。 番組のパーソナリティからは、「そんなの単なる偶然でしょ。気象予報士が、そんな非科学的なことでいいのか」と突っ込まれていたが、またしても大雪となった。 半世紀も続くと偶然とは思えない。 10年周期の大雪サイクルというのが存在するのか...

かいぼり

住みたい街ランキング上位の常連・吉祥寺。 JR中央線、総武線と私鉄の井の頭線が乗り入れている駅から、南へ徒歩2分に位置するのが井の頭公園。 動物園もある閑静なこの公園は、吉祥寺の人気度アップに重要な役割を果たしている。     井の頭線沿線に住むホルヘとっても、ここでの思い出は多い。 小学校低学年のころ友人たちと公園に行ったが、帰りの電車賃が足りず、暗くなっても帰宅できなかったことから親たちが大騒ぎになっ...

王子様と貧乏様

世界一金持ちのサッカー選手は誰か?     普通に考えればメッシかC・ロナウドだが、アメリカの経済誌フォーブスによれば、ファイク・ジェフリ・ボルキアなる選手がそれだという。 しかも彼はまだ19歳。 無名の若手選手が、なぜそんなにお金持ちなのか。     ボルキアというのはブルネイの王族の姓で、彼は現国王の甥っ子。 将来国王になる可能性は非常に高いらしい。 ブルネイはアジアの小国ながら石油と天然ガス...

税関ファイト

年末に帰国した際、成田空港の税関で引っかかった。 「携帯品・別送品申告書」の「他人から預かったものはあるか」という質問の「はい」にチェックしたら、スーツケースを開けて調べられることになった。     海外旅行で知り合った現地の人から、「○○ドルのお礼を払うから、これを日本に持って帰って友達に郵送してほしい」と頼まれ承諾すると、中身が麻薬で摘発されるというケースがよくある。 そのため税関は、「預かりもの」に敏...

南米気質

先週の木曜日、国会議事堂周辺で政府への大規模な抗議集会が行われた。 マクリ政権は、これまでおよそ18%ずつ増額していた年金支給額を物価上昇率に合わせようとしているが、野党である前政権クリスティーナ一派はこれに反対。 もちろん、大統領選挙でマクリに投票しながら、この件では反対という人も多数いた。 一応は政治集会であるものの、これは反対派によるパフォーマンスの場。 特に議員や労働組合指導者は、ここで警察相手に大立...

早すぎたリハビリ

11月初旬に、ギックリ腰になったことはすでに書いた。 そして、それから20日弱という短期間でゴルフに行った。 普通の医者なら、絶対に許可しないような状態だった。     このゴルフは、大手商船会社の代理店が主催の招待コンペで、お得意様をゴルフで接待するもの。 ホルヘのアミーゴがこの会社の顧客なので、毎年参加させてもらっている。 コンペの方式は4人1組の団体戦で、招待された顧客に誘われた部外者も参加できる...

懐かしのポーランド

日本が入ったグループHのシード国ポーランドには、格別な思いがある。 ホルヘが少年時代、海外サッカーの報道はほとんどなく、今はなきイレブン、サッカーマガジンという専門誌が外の世界との窓口だった。 そしてもう一つ、伝説のサッカー番組「三菱ダイヤモンドサッカー」が海外の試合を伝えていた。     ホルヘがW杯と出会うのは、この番組だった。 毎週録画で、1974年西ドイツ大会の試合を放映しており、そこでオランダと...