500ペソ札登場

南米でも6日と11日にW杯予選が行われた。 メッシが故障中のアルゼンチンは、前節のベネズエラ戦に続き第9節のペルー戦も引き分け。さらに第10節はホームでパラグアイに0-1で敗れた。 順位はプレーオフ圏の5位で、6位のパラグアイとは勝ち点1差。 ブラジルは共に下位のボリビアとベネズエラに楽勝して首位に浮上。次節ではこの両者がぶつかる。 ホームのブラジルが勝ち、パラグアイとチリが勝てばアルゼンチンは7位に転落。そ...

ボンボネーラがなくなる?

ネーミングライツの波がアルゼンチンにもやってきた。 ボカのアンヘリッチ会長によると外国企業からオファーがあり、前向きに検討しているとのこと。 詳細は明らかにしていないが、一説ではこの企業は中国のHUAWEIで、年間500万ドル~1000万ドルの10年契約が提示されたという。     ボカのスタジアムといえば、ボンボネーラ。 意味はボンボンを入れる器ということで、ボンボンとは一口サイズのお菓子のこと。 つ...

横断幕の30年

アルゼンチンのスタジアムには横断幕がびっしりと掲げられる。 そのほとんどはペーニャ(私設応援団)の名が記されたもので、「我、ここにあり」をアピールしている。 それらに混じって選手個人を応援するものがあり、稀にメッセージ的なものも掲げられる。 先日は、「QUE VUELVAN LOS VISITANTES」と書かれたものを発見した。 「アウェイ(のサポーター)帰ってこい」という意味だ。     現在アルゼ...

新セキュリティ

アルゼンチンリーグ第2節のウラカン対キルメスから、DNIを提示しないとスタジアムへ入れないようになった。 DNIというのは身分証明書のことで、アルゼンチン国民と定住が認められている外国人は全員が持っている。 ニュースでもこの件を大きく取り上げ、「DNIを忘れないように」、「チェックに時間がかかるので、早めに出かけるように」と伝えていた。 なんでも、顔写真で本人確認をし、証明書番号をスキャンして前科の有無やスタジ...

アルゼンチンのカープ

NHKの国際衛星放送で、広島が優勝を決めた試合を観た。 NHKがプロ野球を放送するのは1か月に1回程度。 それほど少ないにもかかわらず、25年振りの優勝という歴史的(?)瞬間を観ることができたのは幸運だった。 実はホルヘ、広島ファンなのだ。     父親は阪神ファンのアンチ巨人。 ホルヘが幼少のころ、広島は非常に弱く、「セリーグのお荷物球団」などと呼ばれていた。 当時はプロ野球放送がゴールデンタイムの...

慣れないカート

先日、アルゼンチンで初めて電動カートに乗ってゴルフをした。 アルゼンチンには、日本のように全員がカートでプレーするというゴルフ場は、ほんの一部の高級クラブだけ。 一般のゴルファーは、自分で引っ張る手引きカートを使うかキャディーを雇う。 ホルヘはこのどちらも使わず、カロリー消費のためにゴルフバッグを担いでプレーしている。     高級でない普通のゴルフ場にも、高齢者用として数台の電動カートを備えてあるところ...

カーサ ハポネッサ

ブエノスアイレスにカーサ・ハポネッサという日本食材店がある。 日本やアメリカなどから輸入した調味料、食材をはじめ、さまざまな日用品を売っている。 この店が先頃、ヌエバ(新)・カーサ・ハポネッサとしてリニューアルオープンした。     場所も移転して大きくなり、店舗部分だけでも5~6倍になった。 最近は日本料理店も増えているので、それらを対象とした卸売り部門を併設し、2階部分はレストランとなっている。 こ...

五輪閉幕

ホルヘがサッカーを好きになったのは、1974年の西ドイツW杯がきっかけだった。 クライフ率いるオレンジ軍団のオランダに衝撃を受けドンドンのめり込んでいき、ガチガチのオランダファンになっていた。 今はオランダサッカーのことを何とも思っていないが、不思議なことに、決勝でオランダを破った西ドイツへの敵愾心は現在も残っていて、どうしてもドイツサッカーが好きになれない。 決勝で敗れた恨みというのが最大の原因なのだろうが、...

メッシ復活

ナイジェリアの五輪代表は、試合会場への当日到着という苦難にもめげず日本を5-4で破った。 たいしたものだと思う。 しかし、日本も攻撃については見事だった。 これまでの代表は、ナイジェリアクラスの強豪から、本気の大会において4点奪ったことはないはずだ。 アジア予選でもイランから3ゴールを挙げたり決勝では韓国に逆転勝ちしたり、このチームは点が取れる。 点が取れるチームは、観ていて楽しい。 しかも逆境に強い。 ...

リオ今昔

報道によると、リオ五輪に訪れている日本人が強盗や盗難の被害にあっているという。 コパカバーナ周辺での犯罪が多いようだ。 ホルヘが初めてブラジルへ行ったのは、1989年のコパ・アメリカ取材だった。 それまで海外に行ったことがなく、人生初の渡航が単身でのブラジル。 不安だらけで、事前調査に力を入れた。     ブラジル在住の人からは、「こちらでは、ニコンを持って走ると家が建つといわれているので、機材には十分...