メガ フィナル

コパ・リベルタドーレス準決勝の第2レグ。 ホームでの初戦を2-0としたボカは、パルメイラスと2-2で引き分けて決勝進出を果たした。 ホームゲームを0-1で落とし背水の陣となったリーベルは、グレミオに先制されながらも2-1で逆転勝利。 アウェイゴールシステムにより、奇跡的にファイナリストへとたどり着いた。     これで決勝戦はコパ・リベルタドーレス史上初となるボカ対リーベルのスーペルクラシコとなったが、実...

大詰めのコパ・リベルタドーレス

コパ・リベルタドーレスが大詰めに差し掛かってきた。 まずはグループリーグから振り返ろう。 今回強かったのはグループHのパルメイラス。 5勝1分けの好成績で早々と1位抜けを決めた。 これにより割を喰ったのは同グループのボカ。 コロンビアのジュニオールとの2位争いは最終節までもつれ込み、かろうじてベスト16入りを果たした。     グループCではパラグアイのリベルタが躍進。 勝ち点13で1位となり、古豪...

ビーチサッカー

日本滞在中の9月1日、ホルヘが住む杉並区に区立永福体育館がオープンした。 同名の体育館は以前からあったが、老朽化のため閉館し、廃校となった小学校の敷地に移転した。 完全な新築ではなく、小学校の建物を生かすべきところは生かしている。     この体育館の目玉は、砂が敷き詰められたビーチコートがあること。 屋外施設で、ビーチバレーとビーチサッカーの公式試合が行えるようになっている。 真っ白な砂はオーストラリ...

ボールボーイ

Jリーグ発足以前の日本サッカーリーグ(JSL)時代にもカップ戦があった。 ナビスコやルヴァンなどの冠名はなく、そのものズバリのJSLカップという名称。 後援が中日新聞社ということで、中部や東海地方での試合が多かった。 正確な記憶はないのだが、1988年頃の8月に準決勝あたりを取材に行った。 読売クラブ対フジタか日産だったと思う。 東京ヴェルディの前身である読売クラブは、当時、全盛期でとても魅力あるチームだっ...

グレミオ カンペオン

昨日、コパ・リベルタドーレス決勝戦のラヌース対グレミオに行ってきたが、今回は例年と違うことがいくつかあった。 まず戸惑ったのは、取材申請の方法。 アルゼンチンにはARGRAという報道カメラマン協会があり、取材者が殺到する試合では、ここが人数コントロールを行う。 代表の試合は協会に取材申請するものの、誰に許可を与えるかの判断は、ARGRAが実質的に行っている。 取材許可を与えるだけでなく、カメラマンの仕事がしや...

大通り世界一

アルゼンチンの独立記念日である7月9日という意味のヌエベ・デ・フリオ大通り。 現在は中央部にバスレーンが走り、安全地帯を含めた道幅は110メートル。 両側には側道があり、片方はカルロス・ペレグリーニとベルナルド・デ・イリゴージェン、逆側はセリートとリマという名前。 なぜ片方の側道に名前が二つあるかというと、リバダビアという通りを境に道の名前が変わるから。 しかしヌエベ・デ・フリオは、リバダビアを交差しても同じ...

アルゼンチンのドラえもん

福岡で4億円近くが強奪される事件があったが、南米でもこの前の日曜日に、”世紀の泥棒“と呼ばれるほどの大掛かりな盗難事件が起こった。 場所はパラグアイのシウダ・デル・エステ。 ブラジルとの国境に位置し、同国第2の都市だ。     世紀の泥棒というものの、実際には強盗事件。 30人から50人と推定される武装強盗団が、現金輸送業務を行っている警備会社を深夜襲い、推定4000万ドルを奪った。 手口は計画的かつ荒...

もしもあのゴールが入っていたら・・・

ブラジルのシャペコエンセ一行を乗せた飛行機が事故に遭った悲しいニュースについては、皆さんもご存知のことと思います。 人口20万人の小さな町のクラブが、大陸規模の大会であるコパ・スダメリカーナで決勝に進出したというのに、その決勝戦に行く途中であんなことになってしまうなんて。 事故から数日経った今も、まだショック状態から抜け出すことができません。     事故が起きる前日まで、私は準決勝での結果を嘆いていました...

メデジンの悲劇

ブラジルのサッカーチーム、シャコペエンセを乗せた飛行機の墜落事故。 チームは、南米王者を決めるコパ・スダメリカーナ決勝第1戦に向かう途中だった。 シャコペエンセは国際的にはほとんど無名で、創立も1973年という若いクラブ。 サンタカタリーナ州のシャペコーという人口20万人ほどの町を本拠地としている。 78,79年は全国選手権に出場したがその後降格し、一昨年、35年振りの復帰を果たした。 その後は目を見張るよ...

リオ今昔

報道によると、リオ五輪に訪れている日本人が強盗や盗難の被害にあっているという。 コパカバーナ周辺での犯罪が多いようだ。 ホルヘが初めてブラジルへ行ったのは、1989年のコパ・アメリカ取材だった。 それまで海外に行ったことがなく、人生初の渡航が単身でのブラジル。 不安だらけで、事前調査に力を入れた。     ブラジル在住の人からは、「こちらでは、ニコンを持って走ると家が建つといわれているので、機材には十分...