ブエノスの自然公園

先日、初めて、レセルバ・エコロヒカ・コスタネーラ・スールという自然公園に行ってきた。 これは、ブエノスアイレス市中心部のすぐ近くにある。 セントロからだと、目抜き通りのヌエベ・デ・フリオ大通りを背に東へ真っ直ぐ行った突き当りだ。 ヌエベ・デ・フリオ大通りから約1キロメートル歩くと、運河のようなものにぶつかる。これはラプラタ河から水を引いた旧ドック跡。 ドック沿いの古い建物はリニューアルされて高級レストランなど...

37歳。ゴールデンエイジ。最強の“雑草”たち

1979年生まれ。 それこそ高校時代から将来を嘱望されるタレントがキラ星のごとく揃い、実際にその後も日本サッカー界を牽引してきた、今年で37歳を迎える世代の“ゴールデンエイジ”。 ただ、いまだに日本男子サッカー史上、FIFA公認の大会では最高成績となる準優勝を経験した1999年のワールドユース組や、その世代が中心となってベスト8まで勝ち上がったシドニー五輪を経験していない“ゴールデンエイジ”組が今でもJリーグの舞...

今シーズン初ゴール!

今年やっとゴールを決める事ができました‼️やっぱりゴールは超気持ちよかったです。 そのゴールが足じゃなくてまさかのヘディングシュート‼️笑 あと残り5試合なので1つでも上の順位になれるように頑張りますね(^○^) 町田ゼルビアよろしくお願いします‼️ ...

知られざる(?)マテ茶の豆知識

このブログの読者の皆さんは、マテ茶が「アルゼンチンを始めとする南米大陸の南東部で愛飲されているお茶のことで、一般的には丸い茶器にボンビージャという金属製のストローのようなものを入れて飲む」ものであることをご存知のことと思います。 実はこのマテ茶、こちらの人たちにとっては単なる飲み物ではなく、毎日の暮らしの中で欠かせない文化のひとつ。と言うのも、マテ茶は家族や友人、またはその場を共にしている仲間たちと「回し飲み」する...

ジョン・レノンのクラブ

ラシンといえばアルゼンチン5大クラブのひとつ。 ブエノスアイレス市に隣接するアベジャネーダ市の中心部にスタジアムを構えている。 直線距離にして200メートルもないようなところにインデペンディエンテのスタジアムがあり、この両者の対決がアベジャネーダクラシコ。 ビッグクラブがこれほど隣接している場所は、世界中を探してもここだけだろう。     最寄り駅は、ブエノスアイレス市内のコンスティトゥシオン駅から一つ目...

500ペソ札登場

南米でも6日と11日にW杯予選が行われた。 メッシが故障中のアルゼンチンは、前節のベネズエラ戦に続き第9節のペルー戦も引き分け。さらに第10節はホームでパラグアイに0-1で敗れた。 順位はプレーオフ圏の5位で、6位のパラグアイとは勝ち点1差。 ブラジルは共に下位のボリビアとベネズエラに楽勝して首位に浮上。次節ではこの両者がぶつかる。 ホームのブラジルが勝ち、パラグアイとチリが勝てばアルゼンチンは7位に転落。そ...

替え歌の達人

89年3月、私がアルゼンチンにやって来て最初に行ったスタジアムはボカ・ジュニオルスのホーム、「ラ・ボンボネーラ」でした。 それまではサッカーの試合会場というと国立競技場での平穏な光景しか知らなかったので、ボンボネーラの周辺で早くもその異様な空気を感じた時には正直なところ怯みました。 サポーターは男性がほとんどでみんな恐そうだった(ように見えた)し、ライオットシールドを持った重装備の機動隊が立ち並んでいるし、騎馬隊...

残された日々の中で~東京高校の3年生~

9月26日。清瀬内山グラウンドC。T3リーグBブロック第6節。 都立東大和南高校対東京高校。 キックオフ直後から大雨が降り始めたゲームは大熱戦。 東京が先制し、都立東大和南が逆転したものの、東京が追い付くと、残り10分で訪れたのは東京の決定機。左サイドから藤村拓が上げたクロスに宮下創太が頭から飛び込みます。 「『ああ、来ちゃった』と(笑)でも、足よりも頭の方が自信があったので、当てるだけでした」という宮下のダ...

ボンボネーラがなくなる?

ネーミングライツの波がアルゼンチンにもやってきた。 ボカのアンヘリッチ会長によると外国企業からオファーがあり、前向きに検討しているとのこと。 詳細は明らかにしていないが、一説ではこの企業は中国のHUAWEIで、年間500万ドル~1000万ドルの10年契約が提示されたという。     ボカのスタジアムといえば、ボンボネーラ。 意味はボンボンを入れる器ということで、ボンボンとは一口サイズのお菓子のこと。 つ...

初めてのインタビュー

今回からゴルジャパンさんのブログに参加させていただくことになりました、アルゼンチン在住の藤坂ガルシア千鶴です。 首都のブエノスアイレスで、アルゼンチンを中心とした南米サッカーについてのコラムや記事を書く仕事をしています。     私がブエノスアイレスに住み着いたのは89年3月、もうかれこれ27年半も前のことになります。 とにかく早く憧れのアルゼンチンに行きたいと、大学も短期課を選び、卒業式の3日後にはブエノ...