コロンビア内外

2000年のトヨタカップでレアルを倒し世界王者なるなど、名将ビアンチの下で黄金期を築いたボカには、GKコルドバ、DFベルムーデス、MFセルナ(冒頭写真)のコロンビアトリオがいた。 彼らは3人ともチームに不可欠な存在で、「エル パトロン」(元締め)と呼ばれていたストッパーのベルムーデスはキャプテンでもあった。     リーベルでもストライカーのアンヘルにファルカオ、DFのジェペスらのコロンビア勢が活躍。 サン...

オンセカルダスの思いで

以前はワールドサッカーグラフィックという雑誌の仕事で、10月頃になると、南米代表としてトヨタカップに出場するクラブの取材をしていた。 そんな中でも思い出深いのは、2004年に行ったコロンビアのオンセカルダスだ。 このクラブはマニサレスという地方の小都市がホームで、規模もそれまでの成績も中堅以下といったところだった。 コロンビアでコパ・リベルタドーレスを制したのは、その時点では1989年のアトレティコ・ナシオナル...

アベジャネーダ クラシコ

前節のアルゼンチンリーグはクラシコデー。 ボカ対リーベルのスーペルクラシコをはじめ、すべての試合がクラシコだった。 ホルヘはこの日、インデペンディエンテ対ラシンのアベジャネーダ・クラシコへ行った。     試合開始1時間以上前に最寄りのバス停に着いたが、途中から警察のコントロールで大渋滞。 5分待って5メートル進むことの繰り返し。 初めのうちはただ陽気に騒いでいたサポーターたちも、試合時間が近づくにつれ...

もしもあのゴールが入っていたら・・・

ブラジルのシャペコエンセ一行を乗せた飛行機が事故に遭った悲しいニュースについては、皆さんもご存知のことと思います。 人口20万人の小さな町のクラブが、大陸規模の大会であるコパ・スダメリカーナで決勝に進出したというのに、その決勝戦に行く途中であんなことになってしまうなんて。 事故から数日経った今も、まだショック状態から抜け出すことができません。     事故が起きる前日まで、私は準決勝での結果を嘆いていました...

メデジンの悲劇

ブラジルのサッカーチーム、シャコペエンセを乗せた飛行機の墜落事故。 チームは、南米王者を決めるコパ・スダメリカーナ決勝第1戦に向かう途中だった。 シャコペエンセは国際的にはほとんど無名で、創立も1973年という若いクラブ。 サンタカタリーナ州のシャペコーという人口20万人ほどの町を本拠地としている。 78,79年は全国選手権に出場したがその後降格し、一昨年、35年振りの復帰を果たした。 その後は目を見張るよ...

アトレティコ ナシオナル 優勝

コパ・リベルタドーレスは、コロンビアのアトレティコ・ナシオナルが優勝した。 エクアドルのインデペンディエンテ・デル・バジェとの決勝戦は、インデのホームで行われた第1試合が1-1の引き分け。 標高2800メートルというキトがホームのインデは、高地という地の利を生かし、トーナメントでは常に第1試合を制していた。 しかしコロンビアにも2600メートルのボゴタがあり、A・ナシオナルは高地に慣れている。 もし決勝に上が...

荒れるコパ アメリカ

ブラジルとウルグアイがグループリーグで姿を消し、準々決勝ではメキシコがチリに0-7で大敗と波乱続きのコパ・アメリカ。     ブラジルはグループリーグ最終戦でペルーと対戦した。 引き分けでもベスト8に勝ち上がれる状況だったが、0-1で敗れてしまった。 ペルーのルイディアスによる決勝ゴールは、明らかなハンド。 腹の高さに来た右からのクロスを、ウエスタンラリアートのように腕を使って押し込んだ。 クロスを上げ...

インフル来たか?

  3連休の真ん中の日曜日、午後から調子が悪かった。   何だかだるくて、力が入らない。   歩いても、明らかにいつもより歩幅が狭い。   きっと、傍から見たらトボトボという感じで歩いていたはずだ。       その後数時間で関節や筋肉が痛くなり、寒気が来たなと思ったら39度近い熱が出た。   風邪なのか、インフルエンザなのか。   ネットで調べると、倦怠感、筋肉・関節痛などインフル...

パンチせよ

南米好きのホルヘとしては、南米のチームと日本のチームが試合をする場合、どちらを応援するかで悩む。   歴史と伝統のある南米が、サッカー後進国に負けるのは釈然としない。   ホルヘが若かりし頃は、”南米“といえばサッカーの”虎の穴“みたいな存在で、とにかく畏敬していたものだ。   しかし日本には成長してもらいたいし、タイトルも取って欲しい。   それに惨敗でもすると、こちらの人々からそのことでからかわれ...

コパ・アメリカにやってきた

6月23日の夜サンティアゴに着き、翌日のコパ・アメリカ準々決勝   第1試合チリ対ウルグアイに行ってきた。   ここまでの道のりが、実に長かった。       取材申請の受付は3月上旬に行われ、ホルヘは所定の方式に従って申請した。   しばらくするとユーザーネームとともに、今後の手続きを説明するメールが届いた。   申請が許可されたということだ。       ユーザーネームと自分で作っ...