三つのリーベル

コパ・スダメリカーナといえば、昨年12月の決勝戦へ向かうシャペコエンセが飛行機事故に遭遇した大会。 南米では、年の上半期がコパ・リベルタドーレス、下半期がコパ・スダメリカーナとなっていたが、今年から両大会が同時期の通年開催へと変更された。 これにより同じクラブが両大会に参加することはできなくなり、リベルタドーレスが上位大会、スダメリカーナはそれに準ずるものとなった。 ようするに、ヨーロッパのチャンピオンズリーグ...

角打ちデビュー

3月23日にW杯南米予選の首位決戦ウルグアイ対ブラジルがある。 この試合の数日前にアルゼンチンに戻り、家でゆっくりしてからラプラタ河を渡ろうと考えていたのだが、例の痔の手術の影響で出発が遅れることになった。 長時間の飛行機移動は患部に負担がかかるため、医者はできるだけ遅くしろという。 まだ回復途中なので、場合によってはドクターストップの可能性もある。 そんな状況の中でエアーチケットを探したら、これが結構大変だ...

ボカ対リーベル 番外編

ブラジルW杯で準優勝のアルゼンチンが、今はロシア南米予選で大苦戦。 一時は10か国中6位と圏外まで順位を落とし、現在は辛うじてプレーオフ周りの5位という始末。 昨年は3連勝と好スタートを切ったものの、その後は1勝2分け2敗。 この不振の原因に挙げられているのが、ホームゲームを地方で行ったこと。 通常はブエノスアイレスのリーベルスタジアムが会場となるが、昨年行われた4試合は、コルドバ(2回)、メンドーサ、サンフ...

故障続き

ホルヘが帰国中に居候している実家の冷蔵庫が、年明け早々に壊れた。 今年の正月は3月並みの気温だったこともあり、3日には雑煮用の鶏肉が臭い始めた。 メーカーの修理は5日まで休み。 満杯だった冷凍室の食材もすべて溶けてしまい、多くのものが無駄になった。 冷蔵庫が壊れただけで、肉や魚の買い置きができないなど、かなりの不便が生じた。 あって当然、機能して当然の家電が一つ故障しただけでこうなのだから、震災や水害による...

空き家

12月23日に帰国した。 この日は言わずと知れた天皇誕生日。 日本の在外公館では、国家元首の誕生日を祝う式典とか行事を行うそうだ。 1996年の在ペルー日本大使公邸占拠事件も、天皇誕生日の祝賀レセプションの際に起きた。 犯行グループであるゲリラは、多くの要人が集まるレセプションを標的にし、約600人を人質にした。 これ以降大規模な行事は控えるようになったものの、祝賀会は開催されている。 しかし12月23日...

悩める投票

今年も残すところあとわずか。 毎年この時期になるとやってくるのが、ウルグアイのエル・パイス紙が実施する「南米年間最優秀選手賞」を決める投票です。     この投票はもともとベネズエラの新聞エル・ムンドが1971年に始めたもので、昔からフランス・フットボール誌によるバロンドール選考と並んで世界的に注目されてきました。 当初は「南米最優秀選手」だけでしたが、今は監督、レフェリー、チーム、ベストイレブンの他、自分...

国立野球場

この前はじめて、国立野球場へ行ってきた。 アルゼンチンにも野球はあり、昔はかなり盛んだったという。 知り合いに、75歳くらいの日本人移住者がいる。 彼は中学生のときに移住を決意。 そして、移住すれば身体が資本と、高校では野球部に入った。 昔の日本人ならほとんどが野球の経験者。 したがって移住地でのお楽しみは、自然と野球になる。 中には、甲子園出場者も数名いたそうだ。 そうした人たちが、やがてアルゼンチ...

スーペルクラシコ

ビデオ判定、恐るべし。 アトレティコ・ナシオナルがアントラーズにまさかの0-3。 追加点が生まれるまでGK曽ヶ端は大忙しだったし、全試合を通じてのポゼッションは61%対39%、シュート数は24本対10本とA・ナシオナルが大幅に上回っていたのだから、主審があのまま見逃していれば、勝敗は逆になっていた可能性が高い。 しかし、文句なしの惨敗だ。 南米王者として乗り込み、「シャコペエンセのために戦う」といっておきなが...

U-19がやってきた

先週末は世界各国のリーグで、喪章や黙とうによるシャコペエンセへの追悼が行われた。 アルゼンチンではボカやラシンなどいくつかのクラブが、ユニホームにシャコペエンセのエンブレムを入れて試合に臨んだ。 また、コパ・スダメリカーナ準決勝で対戦したサンロレンソは、試合後に交換した犠牲者たちのユニホームを着用して入場。 そしてリーベルは、特注したシャコペエンセカラーのグリーンのユニホームで試合を行った。     しか...

もしもあのゴールが入っていたら・・・

ブラジルのシャペコエンセ一行を乗せた飛行機が事故に遭った悲しいニュースについては、皆さんもご存知のことと思います。 人口20万人の小さな町のクラブが、大陸規模の大会であるコパ・スダメリカーナで決勝に進出したというのに、その決勝戦に行く途中であんなことになってしまうなんて。 事故から数日経った今も、まだショック状態から抜け出すことができません。     事故が起きる前日まで、私は準決勝での結果を嘆いていました...